こんにちは、写真家の奥山淳志です。
今年の春は出足が遅かったが、ようやく春が本番となってきた。
雫石には一本桜、弘法桜をはじめとする名桜も多いけれど、やっぱり春を伝える風景は田植えだと僕は思っている。
雪解が進むと、田んぼが顔を現す。昨年秋に刈り取られた田が半年ぶりに空の下に並ぶ。
しかし、それはとても美しいというものではない。一面茶色の景色は、雪野原よりもずっと荒涼としている。
しかし、こぶしが咲き、桜が咲くと、そこに人の姿が現れる。トラクターが入り、土を起こし、水が引かれ、代掻きが行われる。

水が張られた田は美しいけれど、やはりどこか荒涼としている。

ところがどうだろう。そこに稲が植えられると、風景は激変する。田植え直後の稲はかぼそく、頼りない。指先でつまめるほどにすぎない。
それでも、田一面に整然と植えられると、風景全体が緑の野に変わる。
大袈裟に言っているのではない。たとえば、雫石盆地を望む網張高原から、田植え前と後を見比べてみるとわかるはずだ。
一本一本は小指にも満たない苗が無数に植えられることで、雫石を一気に緑の野、空を映す広大な緑の湖に変える。

それは桜なんかには到底及ばない劇的な春。人と自然で作り出した美しき光景なのだと、春が来るたびに思う。
